お絵かき
芙羽ここね。描こうと思っていた構図が上手く描けずに諦めて、でもわざわざ描き直すのめんどくさくて、全体的にいろいろとごまかしてまいました。完成直後はまあいいかなんて思ってましたが、後から後悔がじわじわとダメージになってきましたね。頭も相変わらず大きすぎるかな。髪ももっと似せられたはずですよね。ちょっと別人みたい。影もスクリーンも背景も考えるのがめんどくさくていつも適当になっちゃいます。そりゃ上手くならないですよね。
最近教本を買ったり借りたりしてるんですけど、ちょっと気が向いたときに開いてみるくらいでほとんど活用できてません。絵を描くのは嫌いじゃないんですが、正直これと言って目標がないんですよね。Twitterに投稿して、かかった時間に対して見合う程度のいいねが付けばそれでいいかなって…。描きたいことや目指したい画風がずっとぼんやりしたまま絵を続けています。憧れてる漫画家やイラストレーターとかも特にいないんです。なんなんだ俺は一体…
競馬
久し振りに馬券がまともに当たりました。遡ってみたら7月のラジニケ以来っぽいです。うわ…。最近は自分以外みんな当ててるような錯覚に陥ってました。夏の負けは取り返せたので、これで競馬を嫌いにならずに済みます。
久し振りに当ててみて思い出したんですが、勝ちを確信したときって普段の生活では絶対に届かないような場所がはっきりと刺激されるんですよね。今日なんか意識が的中した喜びに支配されてしまって、一人なのに思わず大声が出てしまいました。確かにこんなふうに理性を飛ばせるような快感はギャンブルならではありますが、やっぱり怖いなところもあるよなって…
それに今日は馬券こそ当たりましたが、予想が当たったとは言い切れないと思っています。札幌記念は三連複を取れましたが、パンサラッサがもっと飛ばして逃げるような展開になると思っていました。NST賞も血統だけでなんとなく選んだような雑な予想です。自分の頭で当てた気がしないから、単純に結果だけを見て喜んでしまうのは恥ずべき行為な気がしてくるんですよね。誇ってしまうなんてもってのほか。なんでしょう、ギャンブルにも賢者モードってあるんでしょうか。
でも競馬ってこんなふうにたまたま当たったり、おおざっぱな予想でも当たることがざらにあるから面白いなとも思います。こないだ普段馬券を買わない友人と一緒に観戦したとき、「オッズがおいしいから」「ウマ娘で先行が強かったから」という理由でぽんぽん馬券を当てていったんですよね。一方で自分はさっぱり当てられませんでした。地道に積み上げてきた経験や、偉そうにこねくり回した理屈が全く意味を成さないんですよ。こういう馬鹿馬鹿しさが好きなところです。人生もこんな感じで適当にやり過ごしていきたいよ。